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使用楽器について
松村雅亘氏1998年製作ギター ブーシェモデル(松、ハカランダ)
松村雅亘氏1996年製作ギター オリジナルモデル(松、ニューハカランダ)
松村雅亘氏1994年製作ギター ブーシェモデル(松、ローズウッド)
楽器との出会い

1996年頃より松村雅亘氏製作のギターを愛用しております。公開演奏の場で使用するのは1998年製作ブーシェモデルのギターでオーダーで作っていただいた楽器です。松村ギターとの出会いは茨城県のギター文化館でした。ガッシリとした男性的なギターで張りが強くクリアで力強い音がとても印象的でした。特に低音は深みとのびがある豊かな音量、そして表現力があり、まるで楽器自体に生命があり意思を持っているように感じました。
 
 松村雅亘先生のことは30年以上前から雑誌などで存知あげておりましたが大阪で活躍されていること、楽器もお一人で木と対話をされながら時間をかけて製作される為、年間の製作本数が限られるようで関東で松村ギターに実際に触れる機会はあまりありませんでした。しかし、松村ギターを使用し海外の著名なコンクールで日本人が優勝するなど成果をあげていたことを知っていましたので、私の中では”伝説のギター製作家”として心の奥に記憶として残っていたのです。
 
 私が松村先生のことを知ってから15年後、ギター文化館ではじめてお会いすることができました。体全体からエネルギーがほとばしっているような方で、ギターに対する情熱を非常に強く感じました。ここまでギターに対する情熱と愛情をもたれた方には合ったことがありませんでした。ギターを作っていただくお願いをしたところ幸運にも受けていただきましたが、その頃、松村先生の師であるフランスの名工ロベールブーシェの生誕100年を記念した催しが東京の「たばこと塩の博物館」「ギター文化館」で行われることになった為、その準備でとてもお忙しくなり完成までには4年ほど待つことになりました。
 1998年12月、年末も押し迫ったある日にお電話をいただき「楽器ができたでー(もちろん大阪弁)」と連絡がありましたので翌日茨城から大阪まで飛んでゆきました。初めてうかがう工房ではやさしい奥様が鍋料理を作ってくださり夜おそくまで工房でギターを弾きました。(というか朝まで・・・)
 
 その後私は3年ほど大阪に住んだ時期があるのですが、住居が松村先生の工房に近いところでしたのでうかがってはパリ留学時の資料を見せていただいたりブーシェのお話を聞かせていただきました。松村先生はお弟子さんをとることはありませんでしたが、周りには松村先生を慕って若いギター製作家達が自然に集まってきていました。とても忙しい方だったのにギター関係のイベントなどがあると必ず会場にいらっしゃいました。
 
 松村先生はブーシェ展後、更に勢力的にご活躍をされ製作された楽器を拝見するたびにその音色は一段と深みを増していきました。またロベール・ブーシェ展などでの講演活動、「音楽のきずなセミナー/フェスティバル」でのギター製作展などの企画から、韓国のギター製作セミナー、イタリアでのギター名器展で日本で唯一招待をうけるなど国際的にも活躍の場を広げられていきました。その頃は『イメージ持ったで!』とよく言われ、生まれ変わってもまたギター製作をしたいと言われていました。ある日現代ギター誌で現代の名工シリーズで松村先生の半生が手記として掲載されていました。これまでのお付き合いの中で多くのお話をうかがっておりましたが、あらためて興味深く読ませていただきました。
 
 松村先生には昔から製作をされてきたオリジナルモデルの楽器と師のブーシェモデルと二つのタイプの楽器があります。ブーシェモデルの製作を始めたのはおそらく1990年位からだと思います。私が松村先生に出会った頃先生は『オリジナルタイプの方が自分の自由になる』と言われていました。私はどちらのモデルも所有していますが両方の楽器を弾いてみて私なりに次のような事を感じています。師のブーシェは1986年に亡くなったのですが、おそらくこの後から松村先生は更にブーシェの音を追求する意思を持たれたのではないかと思います。しかしオリジナルモデルはブーシェとはかなりギターの形が違う事からオリジナルタイプでブーシェの音を追求するのは難しかったのだと感じています。そしてブーシェモデルが誕生していったと・・・ちなみに私がもう一台所有している1994年作のブーシェモデルにはNo11という記載がありますが、この楽器にはこのタイプでの音作りに思考錯誤している感触があるのです。

松村先生に最後にお会いしたのは2011年。『小原安正20thメモリアルコンサート』で演奏をした時に会場に来られていました。かなり痩せられてしまっていて一瞬松村先生とは気がつきませんでした。もしかしたら松村先生にお会いするのはこれが最後になってしまうかもしれない・・・・そのような予感がしたことを覚えています。そして2014年。インターネットを見ていた時、松村先生が亡くなられた事を知りました。お葬式にうかがいましたが松村先生は安らかに笑顔で寝ているようでした。私は思わず『きっと天国でブーシェに会えたのですね。』と語りかけました。

私がギターを弾き始めて長い年月が過ぎましたが、ギターに愛情を注いだ方々が次々と去ってしまいました。私ができることは限られた事かもしれませんが、この楽器の文化を少しでも正しく伝えて行けることができればと思っています。